七、迫フヤ 仏ヲ 追ハレツルニ

誰も考えるが、我々が道を尋ね、法を慕い仏を迫うて、様々な努力を重ねるという。まさにそう見えるものであるが、しかし私が、よし仏を追っているとしても、実はそれが、「仏が吾々を追い」、「仏に追われている」その姿なのではあるまいか。実は十分に追う力さえないのが、吾々の弱さである。だがそれを知るが故に、仏の方で吾々を追って離さぬ。だからこれが分ると、たとえ私が仏から遠いとしても、仏の力は吾々を遠くに置かぬ。吾々が如何に仏を追うとも、仏が吾々を追うその速度や強度にはかなわぬ。追うという自分の能動より、追われるという受け身の方が、大きいということが分かれば、も早や宗教の世界に入ったのだともいえよう。仏を追うことが、直ちに仏に追われていることなのである。「往生」というが、それは仏からの「来迎」にあずかることを意味する。
柳 宗悦『南無阿弥陀仏』より抜粋

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