十二、嬉シ 悲シノ 六字

『六字』の名号を称えることは、身に余る悦びのはずである。何故なら、この易行の道で、凡夫を済度しようとする仏の慈悲行の現れだからである。それにあずかることより、凡夫にとっての悦びはないはずである。だが嬉しさだけが想いなら、未だ六字を称えてはいないともいえる。六字を称えるにつれても、我身の涜れを、ゆめ忘れてはなるまい。切な悲しさが、嬉しさの奥にあってこそ、本当の悦びに代わろう。六字を称えることは、嬉しさと悲しさとの結ばれでなければならない。悲しみこそ、六字の嬉しさが湧き出てくるのである。信徒は六字を称える身の有難さを喜ぶべきであるが、同時に悲しさの身であることを、六字につれて切に想うべきである。
柳 宗悦『南無阿弥陀仏』より抜粋

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