十四、六字トナ 無学ナルニ

 南無阿弥陀仏と称えるということは何なのか。称える自分もなく、称えられる六字も忘れ、ただ六字になりきることである。だから六字さえなく「無学」に帰ることである。無学といえば、なおかつ「有字」に沈んでしまうが、無は仮の呼び方にすぎぬ。六字を慕うとは、六字に執することではない。執は我執のことに過ぎない。それでは六字を涜すことになろう。六字で執を離れるのが、称名の端的である。この理念を「無」に活きるというのである。「無字」を花に開かせたものが、六字であると見てもよい。それにほれぼれとみとれるのは、「無」の美しさに、凡てを忘れ去ることである。六字を煮つめれば、無字に帰る。この無の深さを囁くのが、称名の声なのである。

柳 宗悦『南無阿弥陀仏』より抜粋

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