十、弥陀モ 六字ノ 捨草ヤ

 「六字」というのは、南無阿弥陀仏の六字である。これを名号という。この文字を称えることを称名という。下凡の者を、仏の恵みに浴させるために用意された、仏への易行道なのである。大した道ではないか。誰だとて、口で南無阿弥陀仏と称えることでは出来るからである。考えると六字を称えるということは、六字の中に自分を投げ入れることである。投げ入れるのは自分を棄て去ることである。六字に一身を捧げてしまうことである。だが、それは人間の側のみではない。六字の凡夫を救おうということは、仏もまた、自己を六字の賭けものにしていることである、仏自らが、六字に自己を投げ入れていることである。六字へ、自らをすら捨草にしていることである。仏が自分を棄て切って、人間を済度しようとすることなのである。人間の捨棄と仏の捨棄とが相合う場所が「六字」である。六字はその捨棄によって輝き出る六字なのである。「六字」なくば人はなく、仏もまたないと、念仏の教えは知らせてくれる。
柳 宗悦『南無阿弥陀仏』より抜粋

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