真宗で仰ぐ阿弥陀如来を『お真向き様』という。真正面に、吾々に対して佇む御姿だからである。だが仏もまた私たちに向かって『真向けよ』と囁いているのである。 Related Images:
さらに表示 十六、真向ケヨト 云ヒ給フ投稿者: k_hide
十五、ドコトテ 御手ノ 真中ナル
『御手』というのは、仏の御手でも、神の御手でも、菩薩の御手でもよい。私が何処に在るも、何処を向くも、居るその個所が、御手の真中であるというのである。 Related Images:
さらに表示 十五、ドコトテ 御手ノ 真中ナル十四、六字トナ 無学ナルニ
南無阿弥陀仏と称えるということは何なのか。称える自分もなく、称えられる六字も忘れ、ただ六字になりきることである。だから六字さえなく「無学」に帰ることである。 Related Images:
さらに表示 十四、六字トナ 無学ナルニ十三、六字六字ノ 捨場カナ
南無阿弥陀仏と称えるということは何なのか。何か功徳を希ったり、酬いを求めたりする念仏なら、念仏とだにいうことは出来まい。「六字六字」がその捨て場なのである。念仏に活くるとは、己れを六字の中に捨て切ることである。 Rel…
さらに表示 十三、六字六字ノ 捨場カナ十二、嬉シ 悲シノ 六字
『六字』の名号を称えることは、身に余る悦びのはずである。何故なら、この易行の道で、凡夫を済度しようとする仏の慈悲行の現れだからである。それにあずかることより、凡夫にとっての悦びはないはずである。だが嬉しさだけが想いなら、…
さらに表示 十二、嬉シ 悲シノ 六字