十三、六字六字ノ 捨場カナ

 南無阿弥陀仏と称えるということは何なのか。何か功徳を希ったり、酬いを求めたりする念仏なら、念仏とだにいうことは出来まい。「六字六字」がその捨て場なのである。念仏に活くるとは、己れを六字の中に捨て切ることである。これなくして、己れの生きる道はない。弥陀の摂取とは何なのか、捨てるわが身を受け取って下さることなのである。念仏には己れが残ってはならない。念仏の有難さは、その捨て場を吾々に贈ってくれることである。古人が、「赤子念仏」を讃えたり、「空念仏」の意を説いたりするのは、いずれも私を捨て去った念仏への讚仰である。

柳 宗悦『南無阿弥陀仏』より抜粋

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