心が追い求める都は、何処に在るのだろう。都は遥けき彼方にあるとも思えるのである。
だが、ほんとうにその都に憧れる心とは、そもそも何であろうか。考えると、この問いを持たなくば、都は無いに等しいではにあか。
求める都は、その問いを離れた遠い彼岸にあるのでは通ぜぬ。
『仏よ』というその声に、仏が在るのである。否、『仏よ』というその声が、既に私の声ではあるまい。ここでは問うことと、答えられることは、二であって、二ではあるまい。
人々が、『仏よ』というその声は、『仏はここに在る』という仏のその声なのである。
有名な傅大士の偈に『仏の去処を識らんと欲せば、ただこの語声是なり』とある。
柳 宗悦『南無阿弥陀仏』より抜粋