一ノ四 学道の人、衣食に労することなかれ

いろいろはなされたついでに、教えていわれた。

仏道を学ぶ者は、衣食のことを心配するな。

わが国は、インド、中国のような文化の中央から、遠くはなれた小国ではあるけれど、昔も今も、顕教や密教において有名となり後の世までも名を知られた人は多い。あるいは詩歌管弦の家柄の人や文武学芸にすぐれた人など、それぞれ、その道で努めはげんだ人も多い。そのような人々で、いまだひとりも、衣食に豊かであったということは聞いたことがない。みな、貧をしのび、ほかのことは忘れて、ひたすら、その道を求めてはげんだからこそ、有名ともなったのである。ましてや、仏道を学ぶ者は、世渡りのことは捨て去り、名利を求めて奔走するようなことはしないものだ。どうして豊かであるわけがあろう。

大宋国の禅道場には、世は末代であるとはいっても、仏道を学ぶ者が、何千、何万とあり、その中には、遠方から来た者もあり、またその土地からの者もあるが、多くはみな貧乏である。しかし、分某を苦にしてはいない。ただ、悟りの道の至らないことのみを苦にしている。ある者は禅堂の上で、ある者は禅堂の下で、あたかも亡き父母の喪に服しているように、静粛に座禅修行しているのだ。

自分が実際に見たところだが、四川省出身の僧があった。遠方から来たので、所持品とては何もなかった。わずかに墨を二つか三つ、値段にして、二、三百文、わが国の二、三十文相当のものを持っていたが、それで、かの地の神の下等品のきわめて弱いのを買い、これで上着と下ばきを作って着ていたから、起ったり坐ったりするときに、破れる音がして、いかにもひどいものだったが、当人は気にかけず少しも苦にもしていなかった。はたの人が「お前は郷里に帰って用具や衣装を調えて着たらよい」といったが、「郷里は遠方だ。その道中の時間が勿体ない。仏道を修行する時間が、それだけ失くなってしまうのが惜しい」といって、少しも寒さを苦にすることなく、修行にはげんだのである。こういうわけだから、大国には、立派な人も出てくるのである。

次のような話が伝えられている。昔、雪峰義存禅師(八二二-九〇八)が雪峰山を開かれたとき、寺が貧しくて、かまどの火が絶えたこともあったし、また、普通ならば選んで捨てる雑穀の八重なり豆を蒸してたべたりして、命をつなぎ、仏道を学んだということだが、それでも、一千五百人もの多くの修行僧がいつも集まっていたということである。昔の人の修行ぶりはこのようであった。今もまた、このようでなくてはならぬ。

僧が身をあやまるのは、豊かさから起きるものなのだ。釈尊在世の当時、堤婆達多が釈尊をねたんで事を起こしたのも、阿じゃ世王から、毎日、五百車の供養があったことがもとである。冨は、自分を損うばかりでなく、他人をしてあくをなさしてめる因縁となるものである。、まことの修行者は、どうして富貴であってよかろうか。たとえば浄らかな振興による供養でも、多額になったら、施しをして報恩ということを考えなくてはならない。

それにわが国の人は、自分の利益を考えて僧に供養する。にこにこ愛想のいい者には、人当たりもよくなる。これは人情自然の道理である。だが、こうして相手の心に追従しようとするのは、修行のさわりとなる。ただただ、飢えをしのび、寒さに耐えて、ひたすら仏道をまなぶべきなのだ。

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