東北地震が起こり、何となく落ち着かない。
ただ、これまでの日々がいかに幸せであったかという部分を日々の瞑想の中で感じている。原発や地震のことで、ネット上は情報が氾濫している。
この先、自分の住んでいる地域、日本、世界、地球はどうなっていくのだろうか?
そんな中で、興味深い記述があったので、今日はそれについて。
以下、抜粋。
セネカの思想と、禅の影響を受けた教養ある武士たちが信奉した考え方との間には、興味深い共通点がある。例えばセネカは、朝目覚めたら、その日1日に起こり得る悪い出来事をすべて想像するよう説いていた。
18世紀の武士、山本常朝も同じようなことを説いている。山本は、武士道の要諦をまとめた書物「葉隠」の中で、「不可避の死についての瞑想(めいそう)を毎日行うべきだ」と述べている。
「毎日、心も身体も平穏な時に、自身の身体が矢や鉄砲、槍(やり)や刀でずたずたにされた時の様子、大波にさらわれ、大地震で死ぬほど揺さぶられた時の様子を思い描くべきである」
「例えば、富士山が爆発して、東京が火山灰に埋まるかもしれない。起こり得る自然災害は何通りもある。我々はこうした可能性をすべて考慮し、それが起きた場合に社会がどう対応するのがベストか考える必要がある」
昔、ある50代の先生に、『若い時は【死】を考え無いかもしれないが、自分の年齢になると色々な事を考えようになる』と話された事がある。今回の自然の猛威は、規模も想定外ながら、全ての人々の人生の中でも想定外の事だ。
セネカのように、朝から「不可避の死」を考えるのは、私の主義ではないが、夜の静かな時間に自分と向き合って「不可避の死」というものがある事を想定して、一日一日を大切生きて行きたいと思う。今回の震災で、自分がいかに幸せに暮らせていただけたのかを改めて、再確認できた。
震災に合われた方には、心よりお悔やみ申し上げます。