昔、空也上人は、念仏の道を問われた時、『棄ててこそ』とただ一語いわれたという。仏法について、否、凡ての宗教についても、千万の教えはあるが、詮ずるにこの一語に要約されているといえよう。 Related Images:
さらに表示 十八、聖云ヒツル 棄テヨトタグ: 仏偈
十七、南無阿弥陀仏 イトシヅカ
名号に身を投げ入れる暮らしとは、何なのか。とこしなえに自己が休むことである。だから凡のゆる煩悩が、煩悩のままで、静けさをうけることである。 Related Images:
さらに表示 十七、南無阿弥陀仏 イトシヅカ十六、真向ケヨト 云ヒ給フ
真宗で仰ぐ阿弥陀如来を『お真向き様』という。真正面に、吾々に対して佇む御姿だからである。だが仏もまた私たちに向かって『真向けよ』と囁いているのである。 Related Images:
さらに表示 十六、真向ケヨト 云ヒ給フ十五、ドコトテ 御手ノ 真中ナル
『御手』というのは、仏の御手でも、神の御手でも、菩薩の御手でもよい。私が何処に在るも、何処を向くも、居るその個所が、御手の真中であるというのである。 Related Images:
さらに表示 十五、ドコトテ 御手ノ 真中ナル十四、六字トナ 無学ナルニ
南無阿弥陀仏と称えるということは何なのか。称える自分もなく、称えられる六字も忘れ、ただ六字になりきることである。だから六字さえなく「無学」に帰ることである。 Related Images:
さらに表示 十四、六字トナ 無学ナルニ