『トマレ』は『とまれかくまれ』の略、『とにかく何があろうとも六字を称えることだ』という意味である。これ以外に、凡夫が成仏を遂げる道はない。『六字』とは、もとより南無阿弥陀仏の六字であるが、元は梵語で、これを和訳すれば『無…
さらに表示 十一、トマレ 六字投稿者: k_hide
十、弥陀モ 六字ノ 捨草ヤ
「六字」というのは、南無阿弥陀仏の六字である。これを名号という。この文字を称えることを称名という。下凡の者を、仏の恵みに浴させるために用意された、仏への易行道なのである。大した道ではないか。誰だとて、口で南無阿弥陀仏と…
さらに表示 十、弥陀モ 六字ノ 捨草ヤ九、見初ムトモ 弥陀 コノ吾レヲ
平たくいえば、阿弥陀仏がこの私を、見初めて下さったというのである。だが誤読してはいけない。ゆめゆめ自分の自慢などをしてるのではない。私が立派なので、阿弥陀仏が私を愛して下さっているのだというのでは決してない。まさにその逆…
さらに表示 九、見初ムトモ 弥陀 コノ吾レヲ八、想へ誰ゾ 御仏ノ マラウドト
「マラウド」とは賓客の義である。「とく考えよ、経は誰が御仏の正客なのか」という意味である。それが誰であろうと、何時のことであろうと、何処の場所であろうと、このふつつかな私こそ、今日行われる仏の大蓮華会の正客に招かれている…
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誰も考えるが、我々が道を尋ね、法を慕い仏を迫うて、様々な努力を重ねるという。まさにそう見えるものであるが、しかし私が、よし仏を追っているとしても、実はそれが、「仏が吾々を追い」、「仏に追われている」その姿なのではあるまい…
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