一ノ八 人法門を問ふ

ある日教え示して言われた。

仏法の教えをたずね、あるいは修行の方法をたずねる人があったら、禅僧は、必ず真実のことをもって、これに答えるべきである。そうでなく、相手の理解力の弱さを顧慮したり、相手が初心者で素養もない場合には、到底判らぬであろうと考えたりして、真実でないが判りやすい第二義的な方便の説き方で、答えてはいけないのだ。大乗菩薩道を実践しようとする者のいましめのの趣旨は、たとえ小乗しか判らぬものが、小乗の道を淘汰ところたずねても、ただ大乗の教えによって答えるべきだというにある。釈尊一代の教化のなされ方も、真実の教えを説かれる前の権りの教えは、まことに無益なものであって、ただ最後の真実の教えだけが、まこと有益なのである。したがって、相手に判ろうと判るまいとに関わりなく、ただ真実の教えでもって答えるべきなのだ。

この世の人を見れば、その人の実際の性質によって交わりを得ることもできようし、また、その人の性質のうわべにあらわれたところで、交わりを結ぶこともできよう。しかし、外面のすがたや外にあらわれたところで、人を見てはいけないのである。

昔、孔子のところに、一人の男が孔子をしたってやって来た。そこで孔子が聞いた、「お前は、なんで私のところへやってきたのか」その男が答える、「先生が宮廷に参内されますとき、お姿を拝見しましたが、まことに気高く御威光がありました。それで、先生を慕っておそばに来たのです。」と。それを聞いて孔子は、弟子に命じて、乗り物、衣装、金銀、財宝などを、持ってこさせて与え、いうようは「お前が慕ってきたのは、私自身ではない」と。

また、道元禅師はいわれた。

宇治の関白殿(藤原頼通)が、あるとき、宮中の鼎殿(湯殿の湯をわかすところ)に行って火を焚いているところをご覧になった。そのとき、鼎殿の役人が、その姿を見てとがめた。「何者だ、案内もなく御所の鼎殿へ入ってきたのは」と、関白殿は追い出された。そこで、さきの見苦しい衣服を脱ぎ改め、いそいで立派な装束をつけ、おごそかに、いかめしく、お出ましになった。そのとき、先の鼎殿の役人は、はるかにその姿を見、恐れ入って逃げ去ってしまった。そのとき、関白殿下は、その装束を竿にかけ、うやうやしく、これにお辞儀をなさったのだ。そばにいた人が、何でお辞儀をされたのかと問うたところ、関白殿の答えは告ぎのようであった、「私が、人に尊敬されているのも、私の徳の故ではない。ただ、この装束の故である。」と。愚かな人が、人を尊敬するありさまは、このようなものである。経文や教義の文字などを有難がるのも、また同様である。

古人は、いっている。「為政者の言葉が、社会全般に行き渡っていて、その言葉にあやまりがない。為政者の行いが、社会全般に行き渡っていて、恨みそしる者がない」と。これは即ち、いうべきことをいい、行うべきことを行うからである。これが徳の至れるもの、道の最も大切なところを、いい行っていることである。世の常の人の言行は、自分の思いはからいで、なされる。おそらく、間違ってばかりいることになろう。だが、禅僧の言行には、はっきりした先例があるのだ。自分で勝手に考えてしてはいけない。釈尊や歴代の祖師たちが、ふみ行ってきた道があるのだ。

仏道を学ぶ者は、それぞれ自己自身を、かえりみるべきである。自己自身をかえりみるといのは、自分の体と心とを、どのように持したらよいか、とかえりみることである。ところで禅僧は、これ即ち、釈尊の弟子であり。したがって釈迦如来のなされたとおり、見習うべきなのである。体の処しよう、口のきき方、こころの保ち方、すべてについて、目ざめた仏たちが、行ってこられたやり方があるのだ、各人みな、その作法にしたがうよが良い。俗世間でさえも、「衣服は、先王の定められた正しい衣服を着し、言葉は、先王の定められた正しいいいかたに従って言う」と言っている。一切、自分勝手に考えてやってはいけないのだ。

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