道元禅師が教え示していわれた。
他人の見る眼に気をつけようとするならば、よく眼の見える人たちが、どのように思うか、に気をつけるべきである。
私が宋にいたとき、天童山の如浄禅師が、私を侍者にしようとして、「外国人ではあるが、道元君は、立派な人物である」といわれて、私を侍者に任じようとされたことがある。
私は、かたくこれを辞退した。そのわけは、「日本国にこの評判が聞こえることも、また、私が仏道の修行する上でも、まことに有難いお会いせつなことでありますけれども、多くの人の中には、眼の見える達識の人がおられるて、外国人であって、この天道山のような大道場の侍者になることは、まるで大宋国に立派な人物がいないとでもいうかのようなである、と非難するかもしれません。これは、最も、気をつけねばならぬことと思います」と申し上げ、この旨を手紙に丁寧にのべて差し上げたところ、如浄禅師も大宋国の体面を重んじて遠慮する私の気持ちを察して、二度と侍者に招こうとはなさらなかった。