十一、トマレ 六字

『トマレ』は『とまれかくまれ』の略、『とにかく何があろうとも六字を称えることだ』という意味である。これ以外に、凡夫が成仏を遂げる道はない。『六字』とは、もとより南無阿弥陀仏の六字であるが、元は梵語で、これを和訳すれば『無量寿の覚者に帰依し奉る』ということである。だが、意味は意味として、意味ないまでの、ただの南無阿弥陀仏となってこそ更によい。何もかも忘れ、何も識らないまでに達しての念仏で良い。そのただの念仏に如くものはない。ここで浄土の信者ではない者にいるが、六字が称えられねば、唱えられるままに、何の仕事でもよい。自己を忘れて帰入する仕事なら何でもよい。それは六字の働きと同じものになるからである。それは六字の姿と変わらぬ。ただただ省みてよいのは、それが只麼(しも)の(ただの)境地に入っているかどうかである。只麼とは。『ただ』の意で、まだ何の計らいも加わっていない純な心の様を指すのである。『トマレ』はこの境地を見つめる言葉なのである。

柳 宗悦『南無阿弥陀仏』より抜粋

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