一、今日モアリ オホケナクモ

Ryoanji rock garden
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仏法に【】という教えがあるが、仏教の示す最も根本的な真理の一つを語るものである。

『よろずのものは我れ独りではない』という意味である。『諸法』は、万物で、『無我』は己れという単独なものの無い事を意味である。こうして生きているのは、数えきれぬ、もろもろの因縁が組合わさっているのであって、決して自己一人の力に依るものではない。何もかも依存しあっているので、『自性』と呼び得るものは何一つない。今日、こうして存在しているのも、多くのものの力に支えられているお陰である。仏法で『衆生の恩』が説かれる所以である。活きる事は、やがて無量の恩に浴みることである。これを想えば、一生は謝恩の連続であろう。『オホケナクモ』は、『忝ジケナクモ』とか、『勿躰ナクモ』とかいう意味である。ここで存在することは、感謝することになろう。これが分かれば、逆境もまたへの道に他なるまい。

ある人は自らの存在を呪うであろうが、有為転変の習わし、そんなものは一つとして固定しておらぬ。そう分かれば、何所に執着する苦があり、楽があろう。こうして活きているその事が、勿躰ないことなのである。だから今日活きることは、報恩の行として活かすべきである。かくして活きることの意味を教わる。

私はこの句を、この小偈集の序として第1にかかげた。このたび重病したので、なおさらこの真理を味わせて貰った。

柳宗悦『南無阿弥陀仏』より抜粋
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